相田みつをさんの名前を知らなくても
作品(詩)を知っている方は多いですね。
初めて“みつを”と書かれた詩を見たのは、
居酒屋のトイレだった!
というかたも少なくないのではないでしょうか。
相田みつをさんの31点作品がつまった
『トイレ用日めくり ひとりしずか』は
とても売れているのです。
あの独特の筆タッチは一度見たら忘れられないほど
インパクトがあります。
私は、はじめ、ピカソを思い出しました
ああいう風な文字しか書けない人だと思っていました。
でも違ったのです。
実際は書道のコンクールに7年連続入選するほどの
書道の腕前は一流でした。
相田みつをさんの詩は色紙で見ることが多いですが
あえてこだわりぬいて、ああいう書体にしているのです。
この記事では
相田みつをさんのプロフィールや妻(奥さん)や子供について
また、相田みつをさんの作品を広めた大物歌手についてなどを
お伝えしていきます。
目次
名前:相田みつを
本名:相田光男
雅号:貪不安(ドンフアン)
生年月日:1924年5月20日
出身地:栃木県足利市
学歴:関東短期大学
職業:詩人、書家
代表作:にんげんだもの、おかげさん
没日:1991年12月17日
雅号(がごう)とは
文人・画家・書家などが、本名以外につける風雅な名のことです。
相田みつをさんの本名は「相田光男」と書きます。
6人兄弟の三男として生まれています。
書家としてなかなか世に認められず、苦しい生活を送っていた
相田みつをさんのですが、転機は1974年にやってきました。
紀野一義氏のベストセラー『生きるのが下手な人へ』で
紹介されたことにより徐々に名前が世に
知れ渡るようになっていったのです。
この時の年齢は50歳です。
その後詩集『にんげんだもの』がヒットした時は60歳
実際、相田みつをさんの名前が世の中に広く広まっていったのは
没後といわれています。(1991年67歳没))
相田みつをさんは、作品のインパクトがありすぎて
名前よりも先に作品である
「詩」が広がっていったイメージです。
私も20歳のころ(1985年)に詩に出会いましたが
詩のインパクトがあまりにも強かったので
相田みつをさんの名前はずいぶん後で知ることになりました。
2004年、とんねるずの木梨憲武さん主演で
相田みつをさんの生涯が
『にんげんだもの -相田みつを物語-』としてドラマ化されています。
奥さんの千江さん役は 薬師丸ひろ子さんが演じられています。
相田みつをさんの妻(奥さん)は、平賀千江さんという方です。
1954年、材木商の末娘であった平賀千江さんと結婚。
千江さんは「短歌の会」で相田みつをさんと知り合ったが、
不器用で収入がなかったみつをさんとの結婚に周囲が反対したという。
子どもは一男一女
家族4人は8畳一間に暮らしていたそうですが、
相田みつをさんだけは
30畳のアトリエをひとり独占していました。
性格はわがままで喧嘩っ早く不器用
家族は相田みつをさんに振り回されたと言われていますが、
こういったことが原因だったのです。
1955年に長男の相田一人(かずひと)さんが誕生。
相田みつを美術館館長をされています。
長女の方の情報は見つけれませんでした。
相田みつを美術館
所在地: 〒100-0005 東京都千代田区丸の内3丁目5−1
相田みつをさんと聞くとまず第一に
長渕剛さんが出てきます。
私の中では最有力候補です。
長渕剛さんの歌は完全に相田みつをさんを
リスペクトしている歌詞も多く
長渕剛さんがリスペクトした頃と
相田みつをさんは世間では認知されていった時期も
一致しているのではないかと思います。
相田みつをさんの作品を広めた大物歌手といっても
間違いではないです。
長渕剛さんは盗作問題が浮上したこともあり
ご本人も相田みつをさんのファンであると公言しています。
盗作疑惑は「RUN」(1993年作)の
「賽銭箱に100円玉投げたら、
つり銭出てくる 人生がいいと」
の部分
『おさい銭』
百円玉一つ
ぽんと投げて
手を合わす
おねがいごとの
多いこと
みつを
この詩になります。
個人的には
『とんぼ』(1988年作)
『しゃぼん玉』(1991年)も
相田みつをさんの作品を思わせるような歌だと思います。
無名の相田みつをさんの作品を広めたとなると
昭和時代の大物歌手ということになりますので
長渕剛さんが真っ先に浮かびました。
相田みつをさんは1984年、
詩集『にんげんだもの』出版が契機となり、
広く知られるようになったと言われています。
相田みつをさんは、無名時代はとても貧乏でした。
足利を代表する須永花火など
数社を有する須永グループ代表の須永昇氏は
無名時代に展覧会では必ず作品を購入して活動を支えていました。
懇意にしていた書道家仲間が多数存在したと言われています。
世界一受けたい授業の番組放送前なの(6月20日放送)で、断定は出来ませんが
作品を広めた大物歌手の候補として
島谷ひとみさんがいます。
島谷ひとみさんの
28枚目の曲は
「雨の日には 雨の中を 風の日には 風の中を」
という曲
島谷ひとみ / 「雨の日には 雨の中を 風の日には 風の中を」
【OFFICIAL MV FULL SIZE】
実はこの曲のコンセプトは
相田みつをさんの代表的な作品である
「雨の日には」に書かれている
相田みつをさんの生き方そのものです。
島谷ひとみさんのコメント
その時はその時なりに、それを受け止めて
一歩ずつゆっくり前に進めばいいじゃない。雨が降ったら傘をさせばいい、雨が降って植物も育つよ、
風が吹いたら新しい種を運んできてくれるよ、って…こんな大役に緊張している私ですが、精一杯歌に想いを込めて、
心を込めて唄わせて頂きます。この言葉は私の宝物です。
たしかに相田みつをさんの
生き様を歌っている曲であるだけに
その重さは計り知れないです。
島谷ひとみさんも相田みつをさんの作品を広めた
芸能人のお一人ですが
この曲がヒットしていた記憶はないので
どうなのでしょうか?
さて、大物歌手についてですが
さらに、候補がもう一人いらっしゃいました。
加藤登紀子さんです。
「人間だもの」。
相田みつをさんの詩に加藤登紀子さんが
メロディをつけて歌っています。
しかし、この作品は2015年でした。
今回6月20日(土)放送の
世界一受けたい授業 で
「相田みつをの詩を広めたのはある大物歌手だった!」
という内容が書かれていますので
番組終了後に追記してみたいと思います。
「出会いが人を変え、感動が人を動かす」
NAOTO (EXILEのパフォーマー)
「たまには涙をみせたっていいがな」
藤波辰爾(新日本プロレス社長)
「そんかとくか 人間のものさし うそかまことか 佛さまのものさし」
南部靖之(パソナ代表取締役グループ代表)
「そのとき どう動く」
菅原澄(画商・タマ美術代表取締役)
「一生燃焼、一生感動、一生不悟」
常盤百樹(ときわももき、四国電力社長)
「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」
野田佳彦(元首相及び内閣総理大臣・民主党衆議院議員)
私がはじめて相田みつをさんの詩に
出会ったのは20歳でした。(1985年)
この詩に出会い私の人生は変わりました。
名言
【そのうちそのうちそのうち 日が暮れる
いまきたこの道 かえれない】
相田みつをさんの「そのうち」という言葉です。
そのうち お金がたまったら
そのうち 家でも建てたら
そのうち 子供から手が放れたら
そのうち 仕事が落ちついたら
そのうち 時間のゆとりができたら
そのうち………
そのうち………
そのうち……… と、
できない理由をくりかえしているうちに
結局は何もやらなかった
空しい人生の幕がおりて
顔の上に 淋しい墓標が立つ
そのうちそのうち 日が暮れる
いまきたこの道 かえれない
衝撃だった「詩」だったのを今でもよく覚えています。
なんと言っても
最後の行の
「いまきたこの道 かえれない」が
心にグサッと刺さりました。
そして、セールスマン時代
苦しい時が来るたびに
この「詩」を見ていました。
あなたもこの詩に何か感じたら
紙に書いたりプリントするなどして
目につく場所に貼っておくといいですよ!
以上、相田みつをについてでした。