七夕と短冊の由来とは?保育園や幼稚園でも話せる!3分で物知り博士になれる知ったかぶり講座
夏の季節が近づいてくると七夕が頭に浮かびますよね。
日本では七夕は誰もが知っている大きなイベントです。
子どものころ保育園や幼稚園では
短冊を笹に結び付けたり
夜は彦星と織姫星を観測したりと誰もが経験しています。
この記事では、
七夕と短冊の由来についてお伝えします。
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目次
七夕の由来
毎年、7月7日は七夕です。
七夕の日には、織姫と彦星が1年に1度だけ、
天の川で会える日とされています。
七夕と聞くと
- 織姫と彦星が1年に1度会える日
- 短冊に願い事を書いて笹に飾る
この二つが思い浮かびます。
昔々あるところに、
神様(天帝)の娘の織姫と、若者の彦星がいました。
織姫は機織りの上手な働き者です。
彦星は牛の世話をしているしっかり者で働き者。
やがて2人は天帝の許しを得て、結婚しました。
めでたく織姫と彦星は夫婦となったが夫婦生活が楽しく
織姫は機を織らなくなり、
彦星は牛を追わなくなりました。
今まで働き者だった2人は急に遊んで暮らすようになり、
全く働かなくなってしまったのです。
怒った神様(天帝)は、
2人の間に天の川を作って離してしまいます。
悲しみにくれた2人は泣き続けました。
それを見た天帝は、
以前のように2人がまじめに働いたら、
1年に1度だけ、2人を会わせてくれると約束しました。
それから2人は心を入れ替えて一生懸命働くようになったのです。
そして、2人は1年に1度だけ
天の川を渡って会うことが許されるようになり、
天の川にどこからかやってきたカササギが
橋を架けてくれ会うことができるようになったのでした。
その日が「七夕」とされるようになりました。
(この他にも、諸説言い伝えがあります。)
七夕に雨が降ってしまうと2人は会えないといわれていて、
七夕に降る雨は、「催涙雨」とも呼ばれるそうです。
「催涙雨」は織姫と彦星が流す涙と言い伝えられています。
これが中国から伝わったとされる
七夕伝説です。
この話は長い歴史の中で確立していった話で
初期の頃の話には恋愛模様などはまったくなかったといいます。
七夕に願い事をする短冊の由来は?
短冊とは、細長く切った紙や木のことで
七夕には、この短冊に願い事を書いて笹に飾ります。
一般的には「色紙」を使います。
どうして短冊にお願い事を書くの?
昔の人が、織物の上手な織姫のように、
「物事が上達しますように」と
お願い事をしたのが始まりだと言われています。
笹の葉に飾ると、織姫と彦星の力で願いが叶えられたり
また、みんなを悪いものから守ってくれるという
言い伝えがあるのです。
7月7日(七夕)に願い事をする由来・起源について
七夕に願い事をする由来・起源
それは昔の中国で行われていた
「乞巧奠(きこうでん)」という裁縫の上達を願う中国の行事です。
このお祭りでは7月7日の夜に婦人たちが集まって
7本の針の穴に5色の糸を通し、捧げものを庭にお供えして
裁縫や織物の上達を祈り願ったそうです。
この「乞巧奠(きこうでん)」の風習が奈良時代に日本に伝わりましたが
中国から伝わったこの行事は、宮中の年中行事として催されており
庶民の間では広まりませんでした。
庶民の間でも七夕の風習が
行なわれるようになったのは江戸時代といわれています。
江戸時代には梶の木の葉に和歌を書き
詩の上達を願うものとして広く知れ渡りました。
その後、江戸幕府が七夕を節句の一つに定めたことで民間行事となり
庶民の間で流行していた習字の上達を願うようになりました。
元々は中国で裁縫の上達を願う行事だった七夕ですが
時代の流れとともに願う内容が変化して
現在のようにさまざまな願い事を書くようになったのです。
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まとめ
以上、七夕と短冊の由来についてでした。
- 七夕の由来は中国の2人の恋愛話から。
- 七夕の短冊の由来は
乞巧奠(きこうでん)という裁縫の上達を願う中国の行事です。
七夕の前には、お子さんと短冊を作り
7月7日には織姫星と彦星の天体観測をすれば
お子さんにとって、一生の思い出になりますね!
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